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メンタルヘルス通信

「暑いね」だけではダメ!? ~ 思いを正しく伝えるヒント ~

2025年7月30日
No.120
メンタルヘルス通信 No.120

 

カなぜ、伝わらない?

 暑い夏にはよくありそうですが、会議中、上司に「この部屋暑いね」と言われた場合、皆さんならどう対応しますか? エアコンを確認して、設定温度を下げたり、冷たい飲み物を用意する人もいるでしょうか。

 実は、こういった皆さんの対応には、会話の状況や文脈から相手の言葉の本当の意図を推測するというとても複雑なやり取りが含まれているのです。

 今回は、語用論(Pragmatics)の見地から、会話の流れを通じて相手の意図を汲み取るより良いコミュニケーションの取り方について考えていきます。

言外の意味を探る「語用論(Pragmatics)」とは?

 先ほどの例のように、上司の「暑いね」という言葉には、単純に「暑い」という事実を相手に共有しているだけではなく、部下に対して「涼しくしてほしい」という願望や依頼がニュアンスとして含まれている場合があります。ここで、発言の文脈や状況をふまえて話し手の意図をくみ取る力が苦手だと、「確かに暑いですね」という表面的な返答にとどまってしまい、さらに適切なコミュニケーションが取りづらくなります。

 このように、「暑いね」という発話が、それがどのような意図や文脈でなされたのかを、身振り手振りや表情などから適切に判断したり、言葉を用いたりするのかを研究する学問分野を、「語用論(Pragmatics)」といいます。

注:本稿では、発言の文脈や状況をふまえて話し手の意図をくみ取る力を「語用論的理解」、その力が十分に働かないことで生じる伝わりにくさや誤解を「語用論的なズレ」と表記します。

日常でも起こる「語用論的なズレ」

日常でも起こる「語用論的なズレ」

 語用論的なズレは,日常的に起こります。

 例えば、音楽に関する会話の中で、相手が発言した「楽器」を「学期」と意味を取り違えたり、「あっちの様子を見てきて」という指示に対して、「あっち」が何を意味しているのか理解しづらく、困惑するケースもあります。もしかしたら、皆さんの職場の中にも似たようなズレが生じた場面があるかもしれません。

 もちろん、初めての職場や慣れない作業で指示の理解に戸惑うケースは誰にでもありますが、この語用論的理解が大変苦手な人々は、慣れていく感覚が持ちづらく、継続的な配慮が必要となります。

 また、こうした語用論的理解の苦手さを持つ人々は、話の文脈や相手の意図に沿って柔軟に意味をくみ取ることが難しく、言葉の音の響きや表面的な意味にとらわれやすいとも指摘されています。さらに、これは生まれ持った認知機能の特徴の一つとされており、小さい頃からよく見られる現象です。特に、コミュニケーションの苦手さを主訴とする、発達障害のひとつである自閉スペクトラム症(ASD)には、この語用論的理解の難しさが背景にあると多くの研究で指摘されています。ただし、そういった研究は子供を対象としたものが多く、成人期に特化した研究や職場・就労支援と結び付けた実践的な研究はまだまだ少ないのが現状です。

語用論的理解が苦手な人への職場でのサポート例

 それでは職場においては、語用論的理解が苦手な人には、どのようなサポートが効果的なのでしょうか?

 実はこういったコミュニケーションのズレが起きやすい場合でも、ほんの少しの工夫でやりとりはぐっとスムーズになります。下記に例をあげてみます。

  • 視覚情報で補う
    口頭の指示だけでなく、メールやチャット、タスク管理アプリなどを使用して、目に見える文章として残すことで、聞き間違いや曖昧な理解を防ぐことができます。図表やToDoリスト形式も有効です。
  • 指示は明確・具体的に
    例えば、先ほどの例であれば、「暑いから、できればエアコンの温度を下げてほしい」と具体的に指示しましょう。
    他にも、提出物などは、「適当にまとめて」ではなく、「〇月〇日までに」「3パターン」「PDF形式で」等、数値・期限・形式を明確に伝えましょう
  • 手順の構造化
    業務内容を「(1).○○についてリサーチ → (2).A案・B案をまとめる → (3).営業部に送る」と段階的に可視化することで、抜け落としや混乱も減らすことができます
  • 確認の文化を作る
    「今の説明、どう理解しましたか?」と相手に言い換えてもらう機会を作ることで、理解のズレに早めに気づくことができます。

語用論的理解が苦手な人へのサポート例

すれ違いの中にある「伸びしろ」

 言葉の通じにくさに直面したときこそ、伝え方や環境を見直すチャンス!!

 伝わらなかった場面や、理解がズレてしまったやりとりには、「伸びしろ」が隠れています。このため、「なんで伝わらないの?」とイライラするよりも、「どんな伝え方なら届くだろう」と考えてみることで、お互いにとって心地よいやりとりが生まれるかもしれません。

 また、曖昧な表現を読み取るのが苦手だからこそ、明確な指示には的確に応える力があるとも言えます。

 多様性(ダイバーシティ)が時代のキーワードとなって久しくありますが、異なるコミュニケーション様式や人格特性をもつ人々が、自分らしく力を発揮できる職場づくりのヒントになれば幸いです。

 


<<参考>>

  • 田中 優子, 神尾 陽子.(2007). 自閉症における語用論研究. 心理学評論, 50(1), 54–63. https://doi.org/10.24602/sjpr.50.1_54
  • 伊藤 恵子, 安田 哲也, 池田 まさみ, 小林 春美, 高田 栄子.(2023). 自閉スペクトラム症特性における語用論的情報の活用:心情推測課題を用いた検討. 発達心理学研究, 34(2), 45–58. https://doi.org/10.11201/jjdp.34.45

 

執筆者:谷 里子(臨床心理士、公認心理師)
東京メンタルヘルス カウンセラー
大正大学人間学研究科 福祉・臨床心理学専攻 博士後期課程 単位取得後満期退学。
これまで教育現場や児童精神科にて心理的アセスメントに尽力してきました。子どもの持っている能力を見極め、回復力を見いだす支援・研究に日々取り組んでいます。


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