メンタルヘルス・コラム

ストレスと『諦観力』 すがすがしくすっきりと別れる方法

2015.11.02

「思い通りにならないこと、つまり『ストレス』が溜まった時はどうしていますか?」

研修等でこんな質問をすると「運動して発散しています」、「ふて寝しています」、「酒に走ります」、「思い通りになるまで頑張ります」といった答えが返ってくる。中には「我慢します」とか「諦めます」と答える人も結構いる。

我慢するというのは耐え忍ぶこと、すなわち忍耐である。臨床心理学では「抑圧」や「抑制」に当たる。抑圧は嫌なこと、辛いこと、恥ずかしいこと、葛藤していることなど一般に不満や不快なことを意識の外(無意識の世界)にたちどころに押しやることであり、抑制は色々考えた挙句、自分なりに合理化し、耐え忍ぶことである。

抑圧にしても抑制にしても我慢することに変わりは無いが、その副作用として神経症(ノイローゼ)になるというのが精神分析の見方である。「日常生活の中で気になることや心配なことが次々と起こってくる」、「ちょっとしたことが気に障る」、「将来のことに不安を覚えたり、周りの目が気になったりして物事に集中できなかったり、眠れなくなったりする」、以上が神経症の主な症状であるが、これは不満や不快なことが潜在化したまま放って置かれたり、整理できないまま曖昧にされた結果である。

「我慢します」と答えた人たちが我慢した後、自分の心身の状態や言動にストレスとしてどんな影響が出ているのか振り返ってみる必要がある。

次に「諦めます」と答えた人たちはどうであろうか?

諦めは、仕方がないと断念することであり、思い切ることである。また、悪い状態を受け入れたりすることでもある。諦める能力を付けることを「諦観力」と言うが、仏教では諦観は「明らかにする、詳らかにする、真理を観察する」という意味がある。仏教では物事を客観的に見つめたり、事実関係を冷静に観察できると諦めがつくという。

諦めるといっても様々で、仕事や勉強、試合や旅行などの出来事やキャリアについて諦める場合もあれば、対人関係について諦める場合もある。

例えば好きな女性に振られた時、その女性を諦めるにはどうすればいいか。心理学的には「他者理解」が必要である。それには相手の立場に立てることであり、相手の気持ちや言い分を理解することである。他方、相手も素直な気持ちで詳らかな説明をすることである。

いわゆる「自己一致」した状態でアサーション(自己表現)できることである。しかし、この段階でどちらか一方や双方が嘘をついたり、ごまかしたりして、自己防衛をしてしまうと再び感情に火がついて、心理ゲーム(ついついやってしまう後味の悪いやりとり)を続けることになる。

いずれにしても諦観力はお互いに相手を信頼できる気持ちと自分の気持ちを素直に表現するという交流の中で生まれる。自分を否認したり、歪曲している場合はうまくいかない。さらにそれが相手にも投影されている場合は困難である。

例えば、自分の非は一切認めず相手の欠点や弱点ばかり責めてしまう交流のパターンでは諦観力どころか執着力の方が増大してしまう。もちろん、和解も不可能になってくる。

男女関係に限らず、人間関係ですがすがしく、すっきりと別れたいなら、前途したような諦観力を身につける必要がある。

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