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新うつとは? その4

2015年11月2日

新うつの第4回目は、境界性性格に基づくうつを取り上げたい。境界性性格は対人関係や自己イメージ、それに感情などがきわめて不安定であることに特徴がある。その根底には、常に自分は「見捨てられてしまうのではないか」といった不安や恐怖がある。そしてその状況に対し心理的防衛が働き、極めてナーバスな反応をしてしまうのである。

例えば、ちょっとでも相手が自分を避けるような発言や拒絶するような態度を取ると、その意味をしつこく聞こうとしたり、納得がいかないと激怒したりする。それは見捨てられないためのなりふり構わない努力の姿でもある。

現実のやりとりで実際にうまくいかないことが起こると、ひどく傷つき自傷行為や自殺行動も辞さない。逆に自分に対して無条件に愛情をかけてくれる人に対しては、限りなく理想化するが、何かのきっかけでそれが成就されないときは、激しいこき下ろしが待っている。従って対人関係は不安定で激しいものとなり、相手も気を遣ってしまう。また、自分に対するイメージも両極端だったり不安定だったりする。一貫した感情を保つことができないため、周囲からすると、ついつい人が変わったように見える。その結果、物事に対する価値観、目標、仕事などについても、突然考え方や感じ方を変化させるため、周りがついていけないことが多い。

日常の生活では、賭け事、浪費、無茶食い、薬物乱用、衝動的な性行為、無謀運転、前述した自傷行為や自殺企図など、自分を追い詰めたり傷つけたりするような行動を示すことが多い。そして内面ではそういう自分を恥ずかしく思ったり、罪悪感を持ったりする。そうなると自分を嫌悪し、自責の念を持ち、うつ状態になる。また実際にそういう自分を周囲が見捨てたり、拒絶したりする場合もうつ状態を示す。そしてその状態からしばらく抜け出られないときがある。

いずれにしても境界性性格によるうつ状態は、過去に見捨てられ体験があり、それを抑圧した結果、新たな見捨てられ情況に対して激しく反応するという心理的防衛機制がある。

Oさんが抑圧したもの
Oさん(男性、29歳独身)は、普段大人しく、一見いい人であると言われている。彼には同じ年の彼女もいるが、時々怒りを爆発させてしまうという。それは特に彼女が待ち合わせ時間に遅れた場合である。4~5分遅刻しただけでもバカにされたと思い、激しく彼女を攻撃してしまう。その後には決まって別れ話が待っているというが、数日経つと、縒りが戻り、付き合ってしまうという。

喧嘩しては求め合い、求めては喧嘩してしまうので、彼女もいい加減に愛想を尽かしているという。Oさんの話をじっくり聞いてみると、約束を破られたり、決められた時間に来ない時は、ついつい見捨てられたと思い、自分が必要とされていないと思ったり、認められていないという考えが起こってしまうという。そうなると堪えきれなくなり、それを相手にぶつけてしまう。

「過去にもそういった体験はあったのですか?」と尋ねると、「小さい頃自分は兄弟の中で一番爪弾きにあっていました。他の2人に比べると、勉強もできなかったし、運動も苦手で親や周りからの評価は低かったです。そういう時は、『もう我慢ができない。いつかこいつらを見返してやる!』と自分に言い聞かせてきましたね。しかしその場では、それもできずに何事もなかったかのように振る舞ってきました」Oさんはその隠した部分を「心の闇」と表現した。「その時に自分の気持ちや感情を表現したり、本当はどうしてほしかったのかを伝えられたらよかったのですがいつも誤魔化し、逆にその怒りを原動力に生きてきました」「闇の部分にOさんの生きる原動力があったのですね」Oさんは黙って頷いた。

「そういう自分の生き方が、最近とても嫌になって、彼女とも付き合う資格がないと思うんです。でもそうなると急に寂しくなり、落ち込んでしまいます。こういう自分はいない方がいいんじゃないか、迷惑をかけているのではないかと思い始めると、雪だるま式にどんどんマイナス思考に支配されてしまうのです」

そこで小生は、物事の見方、考え方を修正できるような認知行動療法を実施した。すると以前のような落ち込みやうつ状態からは半ば解放されるようになった。

新うつとは? その3

2015年11月2日

うつは睡眠障害、食欲の異常、易疲労感など身体症状を伴うことが多いが精神的には落胆や失意といった抑うつ感、自責の念などの症状に支配される。

動物実験では「セロトニン」や「ノルアドレナリン」などの脳内神経伝達物質が不足していることが解っている。また大脳皮質、前頭葉の前部の血流も悪いといった指摘や副腎皮質ホルモンの過剰分泌によるセロトニンリサイクルシステムの障害とも伝えられている。

うつ病が脳の病気や心身の機能不全といわれるのはこのためである。

ところで、話題となっている新うつは、脳の病気などではなく「パーソナリティ」(性格)に起因すると言われている。パーソナリティは物事の受け取り方、感じ方、反応の仕方を表す概念であり、人によって様々である。今回は新うつの中でも自己愛・演技性の性格に基づくうつを取り上げたい。

うつと言うからには前述した抑うつ感や自責の念といった症状が2週間以上、時には数年に渡って続く場合である。その前提がなければうつとは言わない。仮面うつ病のように身体症状が前面に出て、一見精神症状がないように見える場合もあるが、それは隠されているのであって実体しないわけではない。むしろ隠された症状、潜在的な防衛を読みとらない限りうつの治療回復は望めない。

では、自己愛・演技性の性格のうつにはどんな特徴があるのか。

自己愛が強い人は根底に自分は特別だという意識を持っていることが多く「自分はこんなにも能力がある」「私は美しいでしょ!」「権力だってあるんだから」といった調子で周りに誇示したがる。したがって周りから批判されたり悪口を言われると内心では激しく反応してしまう。周囲の評価に敏感であり、自分が他人や世の中にどう映っているかがとても気になる。お世辞をほしがったり、ひどく容姿や身体的外見を気にする。それ故に相手からバカにされたり、無視されたり、期待どおりにならなかった時には、それこそうつ状態になってしまう。

演技性というのは一口に言えば、「素直になれないこと」である。誇張したり、芝居がかっていたり、大袈裟だったりする。どこか無理がかかっていて、感情表出も「まあ いらっしゃい!」とか「ほんとうに大変だったのよ!」といったオーバーになることが多い。

イイコタイプであれば相手を持ち上げたり、笑わせたりして、その場を演出する。躁状態が続きエネルギーを使い果たすと疲弊し、最後そんな自分を情けなく思い、嫌悪し否定する。その結果うつ状態になる。そんな情況で精神科のクリニックを訪れると大概うつの診断名がついてしまう。

また演技性の性格の強い人は自分が注目の的になっていないと楽しくなく、認めてもらえてないと感じてしまう。「Aさんあなたがいるから私たち実家に来れるのよ」とか「あなたがいるからこの店やりくりできているのね」といった言葉に弱く、またそれを励みに生きる。

演技性性格の裏に隠されたもの
Wさんは(29歳男性独身)は性格的には外向的で明るいと見なされている。同期会や会社の集まりでは決まってエンターテイナーの役割を果たす。新しいジョークを飛ばし、話しをしない人には世話を焼く。普通はそういうWさんを皆は歓迎し、いつもその役割を期待する。

しかしWさん自身はそのイベントが終わるとグッタリ疲れ果て、その後はなんにもする気になれなかった。そんなある日会社の飲み会でいつものように振る舞っていると、先輩の一人に「おまえ少しは落ち着きなよ。無理しすぎんだよ。だからお前女に持てないんだよ。女だって疲れてしまうよそれじゃ・・・」と言われてしまった。その場は皆の手前もあってつくろったが、内心ではひどくショックを受けた。自分の弱点を槍で突き刺された思いがしたからである。

それ以来日常生活の随所に似たような状況が展開すると落ち込むようになった。自分でもどこか無理したり背伸びしたりしてリラックスできないと思っていたのだ。

しかし精一杯演技し、皆を取り成すことこそ美徳だと思っていたのに「あの努力はなんだったのか。29年間の年月はなんだったの?」そう思うと居ても立ってもいられないほどの虚無感に襲われた。自分の心の拠が一挙に離れ去るように感じた。

Wさんはいつの間にか自分の性格を嫌い、今までの生き方を否定するような生活をしていた。それでも思い出したように頑張ろうとしたり、かと思うと世間体をひどく気にして生きてきた父親の分身だと言い張り、自分を責め、泣き?った。

Wさんの姿からとにかく周りからよく思われたかった。嫌われたくなかったという気持ちだけは読み取るのに難しくはなかった。それがどんな背景や物語からきているのか、カウンセリングの醍醐味はここから始まる。

新うつとは? その2

2015年11月2日

新しいうつ、つまり現代うつはパーソナリティ(性格)の偏りに起因するといわれている。具体的には境界性うつ、自己愛・演技性うつ、回避性・依存性のうつなどである。今回は、回避性・依存性うつをとり上げたい。

この型のうつは、回避性や依存性の性格傾向が強いため、対人関係で自己表現が苦手。また親密な関係を作ることに遠慮がちになる。

特に新しい人間関係の状況では制止が起こり、ブレーキがかかる。本当は親密な関係を求めているのに、他者や周りに受け入れてもらえないのではないかという不安が生じ、対人関係を避けてしまう。

とりわけ、批判されたり拒絶されたりすることに恐怖心を抱き、周りの目や評価を気にする。自分が好かれているとか、受け入れられているといった確信が持てない限り、決して相手とは接触を持たない。根底には傷つきやすくナーバスな性格傾向がある。

また前述したように、周りの目や評価を気にするあまり、自分ひとりでは物事を決めることが困難になり、他者に依存する。要は、自信がない。そのため極端に「他者報酬型」の生き方をしてしまう。その結果、行き詰まり感を持ち、自分の性格傾向や生き方を嫌悪したり否定したりする。

こうしてうつ状態を生じる。そのきっかけは成績の低下だったり、いじめられ体験だったり、職場でのミスやエラー、クレームや対人関係のトラブルだったりする。そういう出来事に端を発し、自分を情けなく思ったり自責の念を持ったりする。しかし、そのような性格形成や生き方の裏には、それなりの物語がある。

<事例>自分をつくってきたMさん
Mさん(女性、42才、既婚、子供2人)は、幼少の頃から生活に困窮していた。それは、父親が事業に手を出しては失敗し、借金を作っていたからである。そのため、病弱だった母親が一生懸命働いてMさんを育ててくれた。

母親の苦労がよくわかっていたので、Mさんは自分の欲求や我儘を通すことはなかった。むしろ、我慢することが得意だった。親を困らせたくないという気持ちや、親の困った顔を見たくなかったからである。正月に親戚の人からお年玉をもらうにしても、いつも親の顔色を窺った。もらってしまうと母親がそのお返しをしなければならないことを子供ながらに知っていたからである。

また、Mさんは小学校低学年からクラスの子によくいじめられたが、そのことを母親には言えなかった。病弱な母親にさらに心配をかけることになるからである。だから「何かあったの?」と尋ねられても「別に・・・」と答えた。

また、Mさんはクラスの子からいじめを受けても自己主張したり、先生に言うことは一切しなかった。悲しくても怒りを覚えても笑ってごまかした。泣いたり、やり返したりすると余計にいじめられることを知っていたからである。

Mさんは子供時代をこんな風に過ごしたが、その頃から対人関係に自信がないことに気づいていた。「自分はかわいくないからいじめられる。貧乏だからいじめられる。」そう思うと自分なんかいない方がいいとさえ言いきかせた。それでも現実生活のことがあり、努力を惜しむことはしなかった。

周りから結婚もすすめられ、2児の母親になった。でもMさんは何か不満を感じ自分らしさが欠如しているように思えた。

「私の人生これでいいの?」いつも逡巡した。

そんなある日、職場で大きなミスをしてしまい、Mさんは顧客や会社に多大な迷惑をかけてしまった。もちろん、職場では持ち前のイイコで通してきたMさんだが、職場の先輩から“あの人、いない方がまだまし”と聞こえよがしに言われてしまった。

それ以来、Mさんは「今までの努力は何だったの?この42年間は何だったの?」と思い、虚しさを覚えた。

その頃から「疑心暗鬼」を生じ、思いこみや決めつける毎日。周りに対しても被害者意識を持つようになり、自分を情けなく思ったり、家族を責めたりもした。

精神科のクリニックを訪れ、医師に毎日落ち込んでしまう旨を伝えると「うつ病」の診断名がついた。その日からMさんの自分さがしの旅が始まった。それは自分のパーソナリティを認め、これまでの生き方を許し、ほんとうの自分を少しづつ実現する旅である。そしてその変容の旅は今も終わっていない。

新うつとは? その1

2015年11月2日

うつは基本的に落胆と失意を感じる状態であり、それも深刻で長く続く。その落胆と失意は絶望感や自己否定感を根底に持つ。

こういった絶望感や自己否定感は何からくるのか。

まず考えられるのはストレスである。例えば身も心も磨り減るような過酷な労働が続くこと。どっちに転んでも思い通りにならない人間関係の板ばさみ、大切なものや愛する人を失った喪失感、理解してほしいと思っている人からの裏切られ体験、失敗やトラブルに対する自責の念、気持ちのすれ違いなどに端を発している。

そしてさらにそのストレスを受け止める本人の気質や性格、場合によっては周りのサポートなどがうつの程度や状態を左右する。

これまでうつといえば遺伝体質からくる内因性のうつ病や上述したようなストレスフルな出来事に反応して発症する反応性うつ病が主であった。これらはDSM(アメリカ精神医学会の診断基準)では「単極性気分障害」として括られているものである。

この中には身体症状が目立ち、精神症状が隠される「仮面うつ病」や不安や焦燥感が強かったり、逆に空虚感や抑うつ感にとらわれてしまう「初老期(更年期)うつ病」、心気的身体的愁訴が多い「老年期うつ病」なども含まれている。

これに対し、「双極性気分障害」というのがある。これはうつ状態と躁状態を繰り返すもので、Ⅰ型とⅡ型がある。

前者は躁状態とうつ状態が波のように押し寄せるものであり、後者は軽い躁状態は伴うものの基本的にはうつ状態の反復が中心になっているものである。

従来いわれてきた「躁うつ病」や躁状態が1週間以上続くような「躁病」は双極性気分障害に含まれている。双極性気分障害は単極性気分障害よりも発生頻度は低く、発症年齢も低い。また、家族に同じ病気の人がいるなど、ストレスよりも遺伝体質的な要因が強い。躁状態の時には気分が高揚し、多弁、多動が目立ち他人から注意されるとすぐに怒ったりすることが多い。

ところで、最近働く人達や若い人達を中心に新しいうつが蔓延していることが話題になっている。こういった新しいうつは、現代うつとも呼ばれ、単極性気分障害でもなければ双極性気分障害でもない。

「職場結合性うつ(仕事や職場に来るとうつになる)」「抑うつ神経症」「抑うつ人格障害」「循環病質」「ディスサイミア(気分変調性障害)」などがこれに相当する。

これらは、パーソナリティに偏りがあるとされ、従来の抗うつ薬では効き目が見られない。軽いうつ状態や不満、不快感などが四六時中存在し、2年以上にわたって続く。うつ病全体の3割に存在し、しかもその割合がますます広がっているのが実状である。従って、心理療法や家族療法、グループワーク、環境調整などに期待がかけられている。

新しいうつの特徴は、従来のうつが自責の念を基調とする様々な心身の症状が中心であるのに対し、上司や周囲の人達を責めたり、集団や組織に慣れ親しむことを拒否し逸脱行動をとることが多い。パーソナリティや防衛機制の問題が絡み、自己抑制が強く自分を出せなかったり、ナーバスでちょっとした出来事や人間関係で傷つくことも多い。自己愛が強く自己中心的で、周囲に対して配慮する態度が欠如していることもある。

もちろんこの中には膨大な仕事量をコツコツとこなし続け、高水準のIT機器を使いこなしている人も少なくない。周囲との関係から身を引き、自分の世界に籠りがちなタイプもいる。そんな若者たちは孤立してしまいがちで、自分の領域を侵されることに恐怖心も抱いている。それでもひとり作業環境や自己完結型のワークスタイルを黙々と維持し続けている。こんな姿をうつと評するのはあまりに薄情で辛辣かもしれない。

新しいうつの流行は職場環境や社会環境のめまぐるしい変化、人間関係の希薄さ、新たな人事制度の導入、成果主義などからきていることは言うまでもない。しかし、ライフヒストリーやライフキャリアとしての、親子問題や家族問題、総じて成長・発達課題を様々に、またそれぞれに引きずっていることも確かで、不満や不信感を強く持ちながらも完璧性も強く、抑制的だったりする。

それは極論するなら「他者報酬型」のライフスタイルとも言われる。周りの評価を気にしすぎ、自分らしさや本来の自分を失っている状態であり、まずこのライフスタイルに気づくことが求められる。

和解力 その6

2015年11月2日

Sさんと2人の精神科医の話し合いは、次のような展開を見せた。

S「精神科医なら、まず患者の話をきくもんだろう!何できけないんだよ!」

Y(しばらく沈黙)「あのとき、何故きけなかったのだろう。今思うと目の前の状況に左右されていたし、先入観もあったのかもしれない・・・・・」

S「それで精神科医がよくつとまるもんだ!とにかく俺を入院させたのは誤診だったはずだ。だって回復して退院したわけではない。そうだろう。認めろ!」

Y(沈黙)

W「Y先生、もう帰りましょう。話し合いにならんですよ。こうなると思いましたよ。だから来たくなかったんです」

S「あんたはそんな言い方しかできないのか?俺が入院させられたとき、どんな気持ちだったのかわかりもしないくせに!」

W「専門医として判断して、入院してもらったまでです。それにお母さんもそれを望んでいました。ですから医療保護入院なんです」

S「何入院かは知らないけど、俺が入院を望んだわけじゃない。お袋をはじめ、お前たちがそうしたことだ。これじゃ人権侵害だ!それにもしオレが精神的に異常だったら、退院した段階で正常になっているはずだ。元々オレは、異常なんかじゃなかった。お袋やあんたたちの方が異常だったんだ!」

W医師は不快な態度でその話を聞き流していたが、Y医師は目を瞑りひとつひとつSさんの話にうなずいた。束の間の沈黙が共有された。

Y「入院時には、Sさんの話をきけなかったので、今改めて話を聴こうと思って耳を傾けておりました。入院中も満足な話し合いができないうちに退院となってしまったので、残念でした。その分今聴こうと思っていたのです」

S「今さら遅いんだよ」

Y「そうでしたね。遅かったですね・・・・」

S「それでオレの病名は何だったんだ?」

Y「カルテをきちんと確認してこなかったので、はっきり断言できませんが、『性格の偏り』か『適応障害』という診断名をつけたと思います」

S「あの時ちゃんと診断すべきだっただろう?いきなり保護室に入れて、目が覚めたら次の日だった。それにまともな治療もしない。病院で暴れたら今度は退院してくれと言われた。まともに診断しなかっただろう。謝れ!」

W「Y先生、もう帰りましょう。何で私たちが謝らなければならないのですか」

Y「Sさん、わかりました。私のミスでした。申し訳なかったと思います」

そう言いながらY医師は深々と頭を下げた。W医師はその様子を怪訝そうな顔で見ていた。

S「本当に謝る気だな。それだったら、あの診断は誤診だったと書いてくれ。お袋便箋を持って来てくれ」

Y「わかりました。書きましょう」

Y医師は間を置きながらも、何一つひるむ様子もなく書き始めた。

W「先生、いいんですか。そんなことで」

Y「いいんです。W先生、間違いは間違いです。先生も一緒に謝って下さい。Sさん、この通りです」

そう言いながら、Y医師が便箋をSさんに渡した。Sさんは書かれた内容をじっと見つめ、次のようにつぶやいた。

S「これでいいんだ。やっと気が済みました。ありがとうございました」

そう言いながらSさんは、その便箋を破ってゴミ箱に捨ててしまった。

CO「いやぁ、ほっとしました。まるで映画の場面を見ているようでした。こんなふうに本音をぶつけたり、話し合いができるのはいいなぁと思いました。大変勉強になりました」

Sさんの母親は、涙を浮かべながら嬉しそうな表情をしている。

CO「お母さん、良かったですね」

Sの母「ええ、本当に有難うございました」

Y「では、我々はこれで」

CO「えっ、もう帰るんですか?」

Y「ええ、まあ。『立つ鳥、跡を濁さず』ということもありますから。アッハッハッハッ・・・・・」

今の世の中では、人間関係やコミュニケーションが上手く取れず、抑圧や抑制をし過ぎてうつ的になったり、逆に攻撃的になりキレてしまうことが言われている。それはある意味では本音を言えなかったり、その伝え方がわからなかったりすることに起因する。

いきなりホームから突き落としたり、誰彼となく刺し殺したりする事件はそんな人間関係の氷山の一角と言えよう。そうであればこそ、和解力が希求されるのだ。

和解力 その5

2015年10月27日

Sさんと警察官の和解が成立し、周囲の人達は、ホッと一息を入れることができた。もちろん、和解の調整に当った筆者も安堵感を隠しきれなかった。ところが、それから2週間もたたないうちに、Sさんが再び「むしゃくしゃする」と言ってイライラし始めたのである。

彼の話に耳を傾けると、自分を精神病院に入院させた精神科医に腹が立つというのである。「あのときの診断は、誤診であった。精神科医が自分の誤診について謝罪してくれなかったら、私の人生は傷付いたままだ」そう言ってきかないのである。

そこで苦悩した結果、再びSさんの母親が、精神科医に連絡を取り、Sさんの自宅に来てもらうことになった。それはほとんど不可能に近いほど困難なことであったが、何故かSさんの治療に当たった2人の精神科医が来てくれたのである。そしてもちろん、Sさんの母親は、筆者に話し合いの調整役を依頼してきた。成り行き上、筆者は、そのことから逃げることはできなかった。

2人の精神科医は、Y医師(上司)と、W医師(部下)であったが、部下のW医師は、この話し合い自体に、とても不快そうな態度であった。しかし、上司に諭されたのか、嫌々来てくれたのである。

さっそくセッションが始まった。

CO「これから2時間ほど話し合いをしたいと思いますが、2時間後、今日はよかったというような話し合いをしたいと思うのですが、それにはどんな話し合いをしたらよいのでしょう。Sさん何かありますか?」

S「本音で話し合えればいいじゃないですか。素直に格好つけずに話し合えれば・・・・・」

CO「なるほど、Y先生はいかがですか?」

Y「それで結構です」

CO「W先生はどうですか?」

W(黙ってうなずく)

CO「お母さんは、話し合いに参加しないで聞いてて下さい。話し合いの中で、これは自分の中で為になるという内容については、是非拾って下さい。しかし、このことはあんまり有益ではないというような話であればそれは捨てて下さって結構です。後でコメントもいただきたいと思います。私は、今日お母さんから進行役を頼まれた東京メンタルヘルス・アカデミーのカウンセラーの武藤といいます。上手く進行役ができるかどうか心配ですが、よろしくお願いします。それではSさんから話をしていただきたいと思います。SさんはどうしてY先生とW先生に来てもらいたかったんですか?」

S「だって、私が大学病院の精神科に入院させられたのは、警察官のAさんが無理矢理病院に連れて行ったからなんです。ロクに話もきかず、自分の状態も分からないくせに連れて行かれたんです。でもそのことについて、Aさんは私に謝ってくれました。だからAさんのことは許せました。でも、私を無理矢理精神科に入院させたこの2人の先生もおかしい。だって、何一つ診断しないで保護室に入れたんだよ。あれはおかしいでしょ。訳が解らないまま連れて行かれて無理矢理入れられた!どうしたって入れた精神科医には責任があるんじゃないですか!」

CO「先生方、今の話しを聞かれてどのように思われますか?」

W「だってあの時は、あなたが暴れたし、周りの人達に暴力を振るったんだから、保護室に入れるのが一番いいと思ったんですよ」

S「何で暴力を振るったかわかる?俺が何にもしないのに、みんなが俺のことを押さえつけるからだよ。それに何一つ理由も聞きもせず、入院させようとするから」

W「しばらく落ち着くまで保護室に入ってもらうのが一番いいと思ったから」

S「それから、Y先生よ、あんたいきなり俺に注射打ったろ!」

Y「打ちました。睡眠薬を打たしてもらいました」

S「何でそんな権利あるんだよ!」

Y「かなり緊張していた雰囲気もあったし、イライラしていた感じもあったので、少し休んでもらうのが一番いいかなと思って医者として睡眠薬を打たしてもらいました」

S「診断もしないでいきなりか!」

Y「後で落ち着いてから、ゆっくり話し合いをすればいいと思ったからです」

S「ひどいもんだ。これが精神科医療の実体かよ」

こんなやり取りの応酬に、果たして収拾がつくのか筆者は心の中で不安と焦りを感じ始めていた。

和解力 その4

2015年10月27日

全ての和解は、自分の非を認めるという自覚なしには上手くいかない。前回の話し合いは次のような結果になった。

CO「Aさん、Sさんが怒っているのは、Aさんが彼の言い分を聞かずに病院に連れて行ったことだと言っていますが、Aさんが言い分を聞かなかった理由もあるのでしょうか」

A「言い分を聞いていたら、病院に連れて行けなくなるのではと思ったからです。こんなことを言ったら何ですが、Sさんのお母さんに頼まれたんです」

S「じゃあ、頼まれれば何でもやるのか!人殺しもやるのか?」

A(沈黙)

CO「Aさん、Sさんの言い分を今ここで聞いてやってもらえませんか」

A「わかりました。遅すぎるかもしれませんが、聞かせてください」

S「俺は何であの時、暴れたかっていうと、お袋がいつも話をすり替えるからなんだ。確かに暴力を振るったのはいけないけど、お袋も追い打ちをかけるような言い方をするんだ。あの日も『俺のこと恐いか』と詰め寄ったら、お袋は『恐くなんかないよ。自分の息子だもの・・・』と言うんですよ。『じゃあ、なぜ逃げようとするんだ』と言ったら、『母親なんだから逃げたりなんかしないよ』こんなふうに言い訳するんです。それで俺は『嘘つくな!正直に言え』って言ったんです。『嘘は言ってないでしょ』って言うから、こっちは頭にきて『これだからイヤになるんだよ!』それで机を叩いたら、お袋逃げやがってそれであんたの所に駆け込んだんだ。俺はお袋に『お前が恐いから逃げるんだ』って本音で言ってもらいたかった。お袋はいつも本音を言わずに建前ばっかり並べ立てる。俺はそうやって育てられてきたんだ。わかるか!Aさん、わかってくれAさん」

Sさんはまるで泣き出しそうな表情でAさんに訴えた。

A「・・・・。そうだったんだ。なんか今の話を聞いていて、自分の小さい頃のことを思い出しました。自分に似てるなって・・・私も母親には話を聞いてもらえなかったんです。父が酒乱でよく暴力を振るって いました。それが嫌で嫌で、そういう奴を取り締まりたい。そんな思いから警察官になったんです。Sさんの気持ちわかるよ・・・」

S「ほんとかよ。じゃあ俺を病院に連れて行ったことの過失認めるよな。謝れ!」

A(沈黙)

S「謝れよ!」

A「申し訳なかったです。あなたのことを少しも理解しないままで、あなたを病院に連れて行った私が悪かったんです」

S(沈黙)

A「あなたの人生に傷を付けてしまいました。本当にすいませんでした」

S「・・・・わかった。もういい」

Sの母「よかったなお前」

S「うるせんだ!お前は黙ってろ。勝手なんだから、お前が一番悪いんだ!」

Sの母(沈黙)

S「都合が悪くなるといつもそうやって黙る」

CO「お母さんもできたら一緒に謝ってください」

Sの母(沈黙)「どうしていいか躊躇してしまいます」

CO「心から謝りたいっていう気持ちにはなれないんですね」

Sの母「っていうか、今のSとAさんのやりとりを見てて、心底そういう気持ちになれないといかんなと思ったからです」

CO「心底?」

Sの母「はい。でも、今振り返ってみると、確かに私はこの子に建前ばかっり並べていたような気がします。自分の気持ちや感情を素直に言えませんでした」

CO「素直に言えなかったんですね」

Sの母「っていうか、間違ったことを言って、暴力振るわれたり、ものに当たり散らされたりするのが恐かったんです。いつもどう答えたらいいか考えてました。でも、それがかえって腫れ物に触るような感じになり、余計にSを苦しめていたんですね」

S「そうなんだよ。今わかったか」

Sの母「今ようやく気がつきました。もっと自分の気持ちや感情をこの子に素直に出していければいいんだって。いつも周りを気にしてきた私がいました。もっと自分の本音を出していいんですね」

CO「ああ、今日はとてもいい話ができました。私も心の洗濯ができたような気がします。今日はどうもありがとうございました」

この日はこんなふうにして和解に至った。

和解力 その3

2015年10月27日

前回は和解にあたってカウンセリングのスキルが必要だと述べた。しかし、こう言ってはなんだがカウンセラーが和解する力があるかというと必ずしもそうとは言い難い。私などは、その最たる者かもしれない。それは自論を曲げないからであり、相手を変えようとする習慣が身についているからである。それでも意外に他人事に関しては、上手に和解の援助ができるカウンセラーもいる。

和解にとって大事なことは、まず和解したいという意思があるかどうかである。次に大事なことは、和解のステップをしっかり踏むことである。そしてそのプロセスでは、いかに双方が理解し合えるかということにかかっている。

また第三者がその相互理解をどう援助できるかということも重要である。しかし実際に、和解しようと思っても面倒という気持ちが働く。面倒の中味は「消耗してしまう。どうせ話し合っても上手くいかない。収拾がつかなくなる」といった予測である。過去に上手くいかなかった体験があると、考えただけでも「うんざり」と思ってしまうものだ。しかし実は、和解の秘訣はこのうんざり感の中にある。そこには必ずといっていいほど、うんざりさせられる情況が展開している。

うんざり感は和解のプロセスで形成されたものだからである。その点、うまく和解ができた当事者は、和解することに積極的なイメージを持っていたり、意義深さや可能性を信じている。

ここで小生の忘れられない体験例をお話ししよう。もうかれこれ15年も前の話になるが、とてもナーヴァスで攻撃的なクライエント、Sさんがいた。ところがこのSさんは強制的に大学病院の精神科に入院させられたという体験がある。そして、そのことが彼の中では最大の傷つき体験、トラウマにもなっていると言う。

日常の中で何かストレスフルなできごとが起こると、決まってそのトラウマを持ち出し、家族を攻撃する。特に母親への怒りは激しく、母親も逃げ惑うことが度々であった。それもそのはず、その強制入院の際にそれを裏で仕組んでいたのが母親でありその手伝いをしたのは、昔からよく知っている近所の警察官A氏だった。Sさんが暴言を吐いた際に、母親が駐在所に逃げ込み、助けを求めたのである。

Sさんの不満の理由は、A氏が何一つ彼の言い分を訊かず、精神病院に連行したことであった。そのことについて、A氏が謝罪してくれない限りは、前には進めないというものであった。筆者はこの母親の依頼で、和解のためのセッションを持つことになった。母親の懇願により、警察官も渋々と参加してくれた。見るからに和解する意思はないといった態度であった。

しかし、Sさんの家はこの地域では名家であり、その警察官も受諾せざるを得なかった。本来ならここで小生が、その警察官A氏の和解に対する意思を確認し、和解のための積極性を導く準備をしなければならなかったが、それをやってしまうとSさんがやっかむ怖れがあると思い、敢えて、それはしないようにつとめ、むしろ、このA氏がこの和解の場に積極的に来てくれたと解釈し、「きょうはお忙しいところをわざわざ来て頂き、本当に有難うございました」と大袈裟に振る舞ったものである。

それがよかったのか悪かったのか、A氏も表向きは「いえいえ、こちらも気になっていたので」と返してきた。ところが敏感なSさんは、「それはタテマエだろう!本当は来たくなかったくせに!」と間髪を入れずに怒号を浴びせた。その瞬間A氏の眉間にしわが寄った。

そこで小生は「Sさん、実はAさんは今日は家族で旅行する予定だったんだ。それを変更して来てくれたんだよ。かなり無理してくれたんだよ・・・・」とA氏を庇いSさんを諫めた。「だったら来なきゃよかったんだ!それに俺を病院に連行した過去はどうなるんだ。それは大事じゃねぇのか。他人の人生をめちゃくちゃにしておきながら、何が家族旅行なんだよ!他人の人生を勝手に邪魔したことを自覚できてんのか!まずその事を謝れ!」

その時、小生はA氏の表情に、後悔の念を読み取ることができた。「これだから来なければよかったんだ・・・・・」

すべての和解は「自分の非を認める」という自覚なしにはうまくいかない。いわんやSさんのような人には「タテマエ」や「仕込み話し(根回し)」はほとんど通じない。すべての過去は「今、ここで」にかかっている。そしてそんなことは百も承知のはずであった。

和解力 その2

2015年10月27日

1月15日、薬害C型肝炎訴訟の原告・弁護団と国側との和解合意が成立した。原告・弁護団にしてみれば5年余を経ての和解合意は長い年月で あった。過去最大規模の薬害事件だっただけに、全国原告団代表の山口美智子さんは、ホッとした表情で「やっと頂上に立てた」と表現した。

この合意書で、国側は薬害被害の責任を認め謝罪し再発防止を誓った。救済の対象は後天性疾患でフィブリノゲンか第9因子製剤を投与された人と母子感染者である。しかし感染者は投与事実の証明が必要であり、医療記録やそれと同等の証明に基づいて判断され、不明な点や争いがある場合は裁判所が それを行い、当事者もそれを尊重することとした。この結果、原告側はひとまず安心できたが、実際にウィルスに汚染された血液製剤を投与されていながら、カルテなどの医療記録が消失し原告側に加われなかった患者たちもいる。

「C型肝炎患者21世紀の会」代表の尾上悦子さんもその一人である。彼女は、「私たちを置き去りにしないで!」と訴えこの会を結成した。感染者は約1万人に上るのに、投与された証明力を持つ原告はたった207人、それ以外の大多数の患者はどうなるのか、尾上さんも証拠が確定されず原告になれなかった一人なのである。

原告弁護団と法務省の話し合いでは、医師による証言や手術記録、母子手帳などから総合的に判断できる場合は、薬害被害者と認める方針が決定されたが、カルテなどがなく、医師の証言も得られない患者は救済対象から外される可能性が高い。

原告以外の被害者が救済法によって給付金を受けるには国と製薬会社を相手に訴訟を起こすしかない。福田首相は昨年12月末「全員一律救済」を表明したが、今後この問題は大きな課題を残すことになった。

このように団体同士の和解や、国が関与する和解は、証明の仕方、救済の方法、給付金などの条件をめぐって難航することが多い。これが個人対個人の場合はもっとシンプルで話し合いや争った後に慰謝料や示談金を払って済むことが少なくない。

最近では、「裁判外紛争処理」つまり訴訟以外の方法による民事紛争の解決手段の重要性が高まっている。これはADR(alternative dispute resolution)と呼ばれ、民事訴訟が本来の紛争解決機能を十分に発揮しない事や、全ての紛争が必ずしも裁判という形式になじまない事もあって、裁判外で紛争処理が行われることである。別名「代替的紛争解決」とも言われている。広義には、民事調停や家事調停などの裁判所における訴訟以外の紛争処理であったり、公害や環境問題等調整委員会、医療事故の調査委員会などの裁判所外の公的な紛争処理機関によるものを含んでいる。

身近では交通事故紛争処理センターのような私的機関から個々人の自由な示談交渉まで様々である。2004年には「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」が制定され2007年から施行されている。

しかしどんな形態の和解にしろ、大切なことは双方がよく話し合い、気持ちを交換し、理解し合うことである。そうでなければどんな和解もお互いに不満や不信感を残してしまうからである。

今後ADRが広まれば広まるほど形式的なことが排除され、実質的な中味が重要視される。そうなると話し合いの仕方や理解する力、相手の立場に立った感情の移入などが求められることになるであろう。

和解が困難なのは双方が利害や損害をめぐって話し合いのテーブルについてしまうため、自分の身を守ることだけを考え、相手の立場に立つことができないのである。称賛に値する和解には、お互いの立場を理解できるような話し合いの方法やスキルが必要となってくる。そこには専門的、第三者の立場からカウンセラーの役割も求められる。

家族療法でよく用いられる「リフレクティング」つまり創造的な相互の反響のさせ合い、ゲシュタルト療法の「エンプティチェア」「トップドッグとアンダードッグ」による立場の交換、サイコドラマの「ダブル」や「黒衣役」による気づきの援助などがそれである。

人間関係が希薄になりコミットメントする雰囲気が失われた時代、そしてそれに伴い和解力が喪失してきた今日では、カウンセラーによる人間関係の活性化や修復の援助技術が増々要請されそうである。

和解力 その1

2015年10月27日

今、日本は、人間関係の希薄や、人付き合いの悪さが言われるようになって久しい。

例えば、今学校では、次のようなことが起こっている。A君とB君が、学校の廊下で取っ組み合いの喧嘩をしている。でも20年ほど前は、A君やB君の側を通りかかったC君やD君はそれに介入する姿があったと、学校長たちは口々に言う。しかし、今の学校では、そういう風景はほとんど見られなくなったという。側を通りかかったC君やD君は、見て見ぬ振りをしたり、2人でペチャクチャ話をしながら、そこを通り過ぎていくという。これが「解離する社会」である。

解離は、人がいるのに交わらない。何かトラブっているのに知らん振り。まるで何事もないかのように振る舞うことである。こうなるとA君とB君は、集団の中の孤独、2人は極度に緊張し、やるかやられるかといった状態になるという。このような事態は学校だけではない。職場や家庭、地域社会でも見られる現象である。

そんなことから今年は、コミュニケーションをはかったり、人付き合いを良くすることを心がけたい。その中でも「和解力」の実現に目標を置きたい。和解力というのは、一言で言えば、喧嘩して仲直りということである。

6ヵ国協議での和解。拉致問題での和解。薬害肝炎訴訟での和解。犯罪被害者と加害者、医療訴訟、横綱朝青龍と日本大相撲協会、夫婦、恋人同士、親子、上司と部下、同僚同士、そして自分の中の葛藤する小人同士の和解など、和解する対象は様々である。しかしどんな和解であっても、和解は面倒である。

できたら放っておきたい、知らん振りしていたい、近付きたくない。憤りを感じる、もう見たくもないし会いたくもない、死んで欲しい、会社を辞めたい、できたら異動したい、最後はこんな思いになってしまう。でも苦しい。葛藤もする。後悔だってしてしまう。これが対人関係の悩みである。

2001年6月、千葉県にNPO法人「被害者加害者対話の会運営センター」というのが発足した。ここは、文字通り犯罪被害者と加害者の和解を 支援するセンターである。

ここの理事長を務める山田由紀子弁護士は次のように語る「被害者と加害者は、話をせず、意思の疎通を取らない。しかしそのことで更に不信感を募らせるケースが多い」このセンターでは、扱う事件は少年犯罪に限っている。その大きな目的は、「被害者の被害回復」と「加害者の更正・再犯防止」である。

このセンターでは、対話の会を積極的に勧めている。司会を務める進行役は、事前に双方に会い入念な準備をする。ほとんどが無給の市民ボランティアだという。進行役は両者と会い、できるだけ事件の成り行きについて情報を集める。その後両者の気持ちを聞き出し、理解することに努める。

だいたいは被害者が自分の思いを語り、それをじっと加害者が聞いていることが多い。ひとしきり話し合った後で、被害者が言う。「これ以上話すことはありません。僕はあの事件の前後の記憶が一切ないんです。

事件がどのように起こったのかそれさえも覚えていない。だから、その時のことを教えてもらえませんか」すると加害者は、「つい、カッとなってやってしまいました。まさかこんな事態になるなんて思ってもいませんでした。本当に申し訳ありませんでした」しかし被害者の両親は興奮して、取り付く島もない。被害者の両親が、激しい怒りを加害者にぶつける。加害者はそれを黙って受け止める。まさにそこは修羅場と化す。

そしてその後に決まって長い沈黙が訪れる。両者はお互いに口をつぐんでしまう。ある程度時間が経ったところで、司会者が和解金について話を持ち出す。ここでは金額については、進行役は一切口を挟まない。あくまでも両者が納得して決めることが原則である。「金額は被害者が提示した500万で結構です。でも一度にそんなお金は払えません。最初に100万を支払わせてもらい、後は分割というわけにはいきませんでしょうか。できれば、息子に働かせ、返せたらと思っています」被害者が黙ってうなずく。

そして最後にこう付け加えた「この事件に遭って僕の人生は粉々にされた。どれだけあなた方を恨んだことか。でも、いつまでもそんなことばかり言ってはいられない。僕は1日も早く事件のことを忘れたかった。でもなかなか忘れることはできなかった。だから僕は、この会に救いを求めた。今日は来てよかったと思います」このようにして、和解が成立するのである。

このような和解方法は、アメリカなどで行われている「修復的司法」という手法である。最近、日本にも持ち込まれているが、実際に対峙した両者の心の中には、反目や対立、せめぎ合い、沈黙、葛藤、後悔などの気持ちが生まれる。それを上手に取り仕切っていくのが司会の役割である。

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